中央が天野委員長

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私は今年、七十五歳になった。
明治の半ば、日本橋人形町に祖父が創業した浴衣屋の三代目として暖簾を守り、現在は長女に家業を任せ、きもの文化の普及活動に力を注いでいる。

‥と、このように書くと、いかにもお江戸日本橋のきもの文化にどっぷりつかって生きて来たと思われるかも知れないが、振り返ってみれば私の人生はいつ、も欧米からの波に強くさらされて来たように思う。
私がようやくもの心ついた五歳の時、日本は戦争に負けた。今の若い方には想像もつかないことだと思うが、その時、日本橋の街は人形町の交差点から三越まで一気に見通すことが出来た。その年の春にあったアメリカ軍の空襲で、ほとんど全ての建物が焼け落ち、瓦礫の山と化していたからだ。
ろくに食料もなく、バラック小屋を建てて雨風をしのぐ毎日。そこに、戦後、アメリカ進駐軍がぴかぴかのジープに乗ってやって来た。どんなに大和魂を叫んでみても覆い隠せない、この圧倒的な落差。これが私の原風景なのだ。

ジーンズ、キャデラック、パリコレ、大判ステーキ、マリリン・モンロー、ダンスパーティー、ローマの休日、ケネディ大統領‥それからも、敗戦国日本から見上げるアメリカは、ヨーロッパは、いつも圧倒的に眩しかった。
もちろん、私一人がそう思ったのではないはずだ。特にアメリカに象徴される物質的豊かさを求めて、日本中がまっしぐらに突き進んだ。日本の伝統的な暮らし方の多くは古くさいものとして顧みられなくなり、その中にきもの、そして浴衣も含まれていた。
「もう、きものはダメだ。これからは洋服をやれ」
父が亡くなる時、私に残した遺言の言葉だ。人一倍浴衣を愛し、戦中戦後を必死に生き抜いて来た人の痛切な言葉を、誰が笑うことが出来るだろうか?

その父の遺言の日から50年、けれど、私は迷いながら浴衣を作り続けて来た。
その中で、現在家業を継いでいる長女を初めて染めの現場に連れて行った日のことを、折に触れて思い返すことがある。
「注染工場」と呼ばれる浴衣の染めの工場は、鼻をつく独特の染料や糊の匂いに満ちた空間だ。床にはその染料がこぼれ落ちた跡が何色にも重なり、建て替えの余裕もなくどこか古めかしいビルは決して広いとは言えない。立ち止まっているとむっと汗が噴き出して来る。
その中で、職人が、口の長い特別なじょうろ状の器具を使い、一種手品のような手つきで、布に色を注ぎ込む。私にとってはもう飽きるほど見慣れた、地味で泥臭い、職人仕事の舞台裏だ。

その舞台裏を初めて見た日、娘は、心から感動したと言った。この技術は、浴衣の美しさは、世界のどこへ出したって劣らない。パリの最高級メゾンにも負けてはいない。浴衣は素晴らしい。私は浴衣をやりたい。
日本が奇跡の高度成長を遂げて世界と肩を並べた後に生を享けた娘の、それは、本心からの言葉だった。

父、私、娘。
私たち三代の家族の物語は、もしかしたら、戦中―戦後―そして現在へと続く、日本の歩みそのままなのかも知れないと思う。
もう、何年になるだろうか。多くの日本人が盲目的な欧米崇拝から脱却し、この国の伝統文化の美点に目を開き始めている。自然から収奪し続けるのではなく、調和しながら生きようとする心。埋め尽くし、構築することだけを良しとせず、間(ま)の美を愛でる独自の美意識。謙譲を尊ぶ精神。この豊かな日本文化の表れの一つとして、きものもまた存在している。
そう、日本文化が復活する時、きものもまた生き続けて行くと信じている。

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